『下関市史』現代編の宗教寺院法華宗の項に、護國寺について次のように書かれています。
伊藤房次郎(現在唐戸町にある亀屋薬局の先々代店主) が、昭和十六年に発刊した『関の町誌』には
この文章は、護國寺の開基となった玉江利兵衛の姿をおぼろげに伝えていると同時に、旧い檀家が護國寺のことを「かねたま」と呼んでいる理由を図らずも説明しています。かつては玉江家はその屋号を、「玉 (かねたま)」と称していました。 その玉江利兵衝は平素から信仰の念の厚い人で、日蓮宗の教義に心から敬服し、出家得度して自分自身が日蓮宗の教えを広めることを熱望していました。
なお、厚狭郡埴生 (現在の山陽町埴生)、当時はまだ市域外だった小月、彦島、幡生などには説教所が設置され、教義普及のための第一線施設とされました。 現護國寺の基磋を確立した第五世住職西嶋文明師は、山口県吉敷郡井関村 (現在の山口県吉敷郡阿知須町) の出身で、明治三十三年六月二十四日に、福岡県八幡市の龍潜寺で高橋日慈師に得度を受けました。その後、明治四十二年に静岡県田万郡錦内村にあった唯円坊の住職、山口県厚狭郡埴生村の日蓮宗寺院住職に就任、そして大正八年三月六日に護國寺の住職として迎えられました。 護國寺にはいくつかの寺宝が伝わっていますが、なかでも大切なものの一つに、清正公堂に祀られている加膝清正公の木像があります。この木像は、かつて豊前國中津城内に安置されていましたが、幕末廃藩のとき、第一世日成師が松平家に懇請して譲り受け、護國寺へ勧請したという由来のあるものです。なお、現存の清正公堂は、第四世吉田日昌住職在任中の明治三十一年四月に建立されたものです。
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